9月 百中(百重)祭

2012.9.1(土)


 この日も、法要の前に雨が降りました。今年の夏は雨が多いですね。
 雨にもかかわらず、大勢の信者様がお集まりくださいました。





 盂蘭盆会ということで、この日はご先祖様のご供養をしました。
 参加の先生方は、高住職、鶴田先生、大隈先生でした。


  


 
右の写真はこの日、ご先祖供養のために先生がご用意くださった焼香台です。







 また、読経の途中で高先生はお供えされている卒塔婆一枚一枚を聖水でお清め、ご供養をされました。





 韓国語の読経の中、ご参加の皆さんがめいめいのご先祖様のために、 一礼、ご焼香、お酒をお供えして礼、という作法でお参りしました。







 先生のお話は、夏安居(げあんご)(夏の期間僧侶がお寺などにこもってする修行。修行明けの日が 7月15日である。)の話から始まりました。
 この日、私の記憶に残ったのは、「この夏安居(げあんご)の最中に 目連尊者が、神通力を使って亡くなった母親の姿を探してみると、 なんと餓鬼道に堕ちているのを見つけたのです。」と言うお話でした。

 このお話は結局、夏安居の空ける7月15日に追善供養をすることで母親は救われるわけですが、 私がずっと不思議だったのが、
 「なぜこのような立派な尊者と呼ばれるような行者の母が、地獄に落ちたのだろう?」 ということでした。

 どうやら尊者の母親は、我が子かわいさに他を省みず、子供ばかりに全ての愛情と力を注いでいたようです。
 そのために自分の勤めを果たさなかったり、あるいは恨みを買うようなことをしたり、無意識に人を傷つけたのかもしれませんね。
 我が子のみを愛するということは、我が子以外、自分も、また他者も犠牲にするというエゴ、即ちある種の欲なのでしょう。

 「目連尊者が夏安居の空けるこの日に、比丘達に食べ物、飲み物を布施することで、比丘達のその喜びが餓鬼道に落ちた者達に 伝わり、やがて尊者の母の口にも水や食べ物が届いた。」という話をインターネットで見つけた時、なるほどと合点が いきました。
 目連尊者は、母とは逆に大勢に布施をすることで徳を積んだ、あるいは母の罪を贖ったということになるのでしょうか。
 母のために徳を積む、追善供養の本当の意味はそういうことなのかもしれませんね。

 私達子を持つ母としては、時々、「私は今、目連尊者の母になっていないかな?」と自問することも大事なことですね。
 またひとつ、生きる知恵をいただいたようで嬉しく思います。





 この日は護摩堂でお下がりをいただくことになりました。
 カステラ、喫茶室のママ手作りの卵焼き、キムチ、果物などが並べられました。
 おいしいものをみんなでいただく幸せ、冷たいお茶もとてもおいしかったです。
 また次回、お彼岸祭へも、皆様お元気でお集まりください。


合掌


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