9月・月例祭・お彼岸供養祭
2010.9.27(日)
参尊寺本堂に於いて、秋のお彼岸の法要がありました。
今回の参加の先生は住職、林副住職、鶴田先生、川本先生、浦崎先生でした。
いつものように、林先生の法螺貝の合図から法要が始まりました。
仏教では仏様にお供えするお水を「閼伽(阿伽)水(あかすい)」と呼びます。
また、神聖な場所である本堂や、護摩堂、道場などを清める時に使う阿伽水は、
樒(しきみ)の枝を挿して香水(こうずい)とも呼ばれます。
いずれも仏様を供養するためのお水です。
参尊寺では法要の最初の方でこのお水を、四方と信者様に降り注いで場所と人とを清めます。
また、お彼岸の法要の途中では先生が卒塔婆の1枚1枚に振りかけて供養をしています。
後半では参尊寺では欠かせない韓国語のお経があって、法要が終わりました。
この日は、最後に、ご先祖様と、その日参加できなかった方達のために光明真言が唱えられました。
〜〜〜〜〜法話〜〜〜〜〜
「時間があったら、南無観世音菩薩、南無阿弥陀仏と唱えましょう。」
私たちは生きて行くために酸素を吸い、口から食べ物を食べたりしています。
それが肉体を維持するために大事なものであります。
精神的な世界は、またには魂の世界を豊かにするためには何をするのが良いかと言いますと、
過去と今、未来を繋いでくれる先祖のおかげに対しての功徳を積むということです。
先祖のことは、いやでもこの先祖のための供養をしていかなければならない。
それは、私たち仏教信者の責任であって、特別な方法であります。
仏教が他の宗教と違うところが、先祖を大切にする、先祖を供養するということであります。
その先祖供養の方法を、私が伝えています。
先祖様にお水をあげたり、お彼岸には卒塔婆供養を、普段のお経の功徳も大事、墓参りも大事ですけれども
普段常に口から、観世音菩薩、また阿弥陀仏と唱えることを口癖にすることによって知らず知らずに、
私たちの頭、またには霊魂、魂の世界、心の世界が豊かになっていくのではないかと思います。
それを一言で言うと、
「暇な口に念仏(を唱えましょう)」
とにかく口に暇があったら、とりあえず念仏を唱えよう、と言うことです。
念仏はどんなふうにするかというと、今言ったような南無観世音菩薩とか、南無阿弥陀仏とか、
それを口癖にする。
嬉しい時でも、びっくりする時でも苦しい時でも、いつでもどんなときでも
「あぁ、南無阿弥陀仏、南無観世音菩薩、南無阿弥陀仏、南無観世音菩薩・・・」
と口癖にすれば、私たちの心も豊かになってまた幸せも向こうからやって来るんじゃないでしょうか。
ありがとうございました。
〜〜〜〜〜終わり〜〜〜〜〜
法要が終わり、場所を護摩堂に移して信者様からの差し入れのお料理を頂きました。
この日はいつも作ってくださるP様が韓国に帰られていて、別の信者様が作ってくださった物でした。
大変おいしく頂きました。ごちそうさまでした。
合掌