3月・月例祭・春のお彼岸祭

2010.3.21(日)




 春分の日はちょうどお彼岸の中日になります。

 お彼岸祭にご参加の先生方は、住職、鶴田先生、日高先生、金先生、川本先生、浦崎先生でした。



 本堂の仏様の前にはたくさんの供養のための卒塔婆が立てられました。
 このたくさんの卒塔婆はお彼岸の1週間の間、供養され焚きあげられます。



***高先生の法話より***

 「寒さも暑さもお彼岸まで」と申します。
 彼岸とは春分、秋分の前後1週間を言います。
 春分は冬から春への季節の境目に当たり、昼と夜の時間が均しくなり、
 真東から真西に沈む太陽に祈る「日願」とも言います。

 また、西方極楽浄土の阿弥陀仏が迎えに来られる日でもあります。
 迷いのこちらの岸から、悟りの向こう岸に渡ること、即ちお彼岸であります。
 阿弥陀如来とは「無量寿仏」「無量光仏」といいます。
 時間と空間の制約を受けないという意味を持っています。
 無明の現世をあまねく照らす光の仏とされ、西方にある極楽浄土という仏国土をもつ、
 一切衆生を救済する48願を立て約束された仏様であります。
 「南無阿弥陀仏」の称名念仏を唱えることで救済されるとされています。

 我々は自分の意思でこの世に生まれてきたわけではありません。
 それぞれの縁があって、ご先祖とのつながりをもっています。
 そのつながりは好きも、嫌いも関係なく、昨日も今日も明日もずっと続いていきます。
 切る事も替える事も出来ません。
 ですから、つながりを素直に受け止め、喜び、もう少し大事にして、もう少しありがたく考え、
 ご先祖とのつながりをさらに強めて行く、という考えは如何でしょうか。

 目に見えない空気のように我々はいつまでもご先祖との縁の力によって生きていくのであります。
 その為、今日はお彼岸を基にして卒塔婆を立てご先祖の追善供養を行なっています。
 供養儀式ももちろん大事ですが、ご先祖や親から、または神仏から授かったものですから
 自分の人生を無駄にすることはできません。
 自分の意志では止めることは出来ない死が訪れるまで精一杯自分自身を燃焼させなければなりません。

 親、先祖、仏から与えられた「与生」
 人生50年をすぎれば余命半分がすぎ、戻り道にさしかかっています。
 定年後は「余生」という考えがありますが、それでは淋しい限りです。
 自分で自分に誇れる「与生」を、最後まで生きたいものです。
 そのためには社会や家庭の中でささやかでもいいから役割持ったり趣味をもつことなどによって
 生きる縁(よすが)をみつけることが必要かと思います。
 自分の「与生」が本当に実りあるものかどうかは、これからの生き方で決まると思います。


***お知らせ***

  4月7〜9日は本山上堂奉仕で11〜12日は本山花供会式が行なわれます。
       桜の花見を兼ねて、どうぞ吉野の本山へご参拝ください。
  4月18日(第3日曜日)月例祭は放生法会(旧暦3月5日)に切り替えて行ないます。


合掌


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