1月 月例祭 加持法会
2014.1.19(日)
今年最初の月例祭の参加の先生方は、高住職、林副住職、鶴田先生、藤本先生、林先生でした。
私はこの日は私用のため、行事の終了ぎりぎりでお寺に到着しました。
とても寒い日でしたので、若干お参りの信者様は少ない感じでした。
いつものように読経があり、その後に加持祈祷をされたそうです。
加持祈祷について高先生より法話の原稿を頂きましたので、掲載させていただきます。
********** 法話 「加持祈祷法要について」**********
本山の教えの資料によれば 加持祈祷とは加持と祈祷の二つの意味があります。
一、加持の「加」とは「加被」、「持」は「接待」で仏様の神秘的な呪力を意味し、成仏や欲求の実現を祈ることを
言います。
また、仏日の影が我々の心の水に現ずるを「加」、行者の心の水をよく感ずるを「持」と言います。
仏様の絶対慈悲が信者の心に加えられて、行者が信心によってその慈悲を感得することであります。
二、祈祷とは祈願、祈念、祈請と言います。
仏、菩薩の冥助を仰いで除災招福を祈ることであり、仏力の加護を求め、種種の功徳を勧めることにより、
除災などの成就されることであります。
つまり本義の加持祈祷は、世間一般の自己の願望達成のためだけに仏を利用し手段化するのでなく、
本尊に全心身を傾けて帰依し、自己を空しくして三昧に入り、本尊に入我我入することにあります。
心だけ、あるいは言葉だけで行いうるものではなく、自己の身体・言葉・精神(身・口・意=三密)を集中し、
大宇宙のそれと合致させ、仏と一体にならなければならないわけで、それが「三密加持」の修法となるのであります。
仏様の慈悲と行者の信仰心が加われ、皆様各者がその慈悲を自らの信心によって感じ取ることなのであります。
身体的な表現(身密)言語的・音楽的表現(口密)聖なる本尊に対する観相(意密)の三つの行のことであります。
師:阿闍梨とは、行くべきもの、行うことを知るものとして全行を積んで認可されたものであり、
三密の基本を修法する能力を持っているものであります。
このように仏様(本尊)の慈悲と行者の信心能力、念力を加えて皆様の三密が合致したならば神秘的な
交感・体験だけではなく想像を超えるあらゆる奇跡が起こることも可能にする密教の修法であります。
過ぎ去ったことのすべての苦しみを祓い、先の生活に御仏のご加護が皆様に注ぎ合わせることを念じて
今日の加持祈祷に臨みましょう。
********** 法話おわり **********
ちょっと難しいですね。
加持祈祷というと、身体の悪いところをさすって頂くと良くなる、と思われている方が多いようで、
お寺でも「肩が痛いです」「腰が悪いです」とお願いされている場面をよく見かけます。
けれども、難病などで薬が効かない方や、視野の狭くなる病気の方で加持祈祷をしていただいて進行が止まった、
という方がおられます。
また、私の身内には、「あと数日の命」と医師に言われて加持祈祷を受け、半年、命が伸びた者がおりました。
「仏様の慈悲があり、神仏に対する真剣な祈りがあり、祈りを神仏につなぐ行者の加持の作法がある、
その3つが揃った時、奇跡のようなことが起こる、それが加持祈祷です。」
と以前、そんなふうに教えていただいたことがあります。
今考えてみると、その3つが揃う、ということ自体がなかなか無いのかもしれませんね。
そう考えると、参尊寺の加持法会は仏様もおられて加持祈祷のできる先生方がおられる、
これはありがたいチャンスなのかもしれませんね。
法話が終わってから、お正月のお供え餅をぜんざいにしていただいて、みんなで頂きました。
ぜんざい、塩昆布、キムチが並びました。ごちそう様でした。
寒い時期ですが、皆様どうぞ暖かくしてお元気でお過ごしください。
合掌