3月 春のお彼岸祭

2012.3.18(日)





 3月の月例祭は本堂にて、ご先祖供養の法要でした。
 私は風邪をひいて咳でのどがかれてしまい、お休みしました。

 写真は代参した息子が写してきてくれました。
 法話は、高先生から原稿をいただきました。


法話「ご先祖・神仏の視点を持てば、人生と世界が理解できる」

曽野綾子(81歳)著、「老いの才覚」という70万部ベストセラーの本があります。
この中に「あの世があるか、ないか、わからないが、わからないものはあるほうに賭けることにしている。」とあります。
ある朝は確かにあるような気がするし、ある夕方はないような気がする。
絶対に証明することができないことですから、どちらとも言い切れません。
ですから「わからないものはあるほうに賭ける」ということです。

ここで、亡くなった方の視線、そのまなざしの中で、遺族はやはり幸せになってほしいと思います。
亡くなった人が家族を見るとき誰もが今まで通りに元気で暮らしてくれているのが一番嬉しいだろうと思います。
皆様も先に死んだら同じ気持ちだと思います。





お彼岸になりますと墓参り、寺参りと、おかげさまで外出することができます。
日本独自のこの行事は先代の方々に先見の明があったというべき素晴らしい行事です。
この宗教行事は心身の健康を保つためにもいいことではないでしょうか。

また、人間がご先祖の魂や神仏があるかどうかを問うことは、ご先祖や神仏に喧嘩を売るようなものなのではないでしょうか。

人間は生まれたときも丸裸で生まれ、死ぬときも、この世のものを何一つ持っては逝けません。
今、わずかに持つものがあればありがたいと思い、「ああ、こんなこともしていただいた。」「あんなこともしていただいた。」というプラスの 心で考えれば不満な気持ちはなくなります。
「あれもできない。」「これもできない。」とマイナスの心を持つことはそれ自体が不幸なことでありましょう。





人は年をとるとあれこれと体が機能しなくなっていきます。
今を大切にし、同じことなら幸せをいっぱい感じるようにしましょう。

曽野先生は「ご先祖、神仏を信じることは価値判断が一方的にならない」と言っておられます。
あの世、極楽天国から、また、高いところから見下ろしてみれば、地形がわかり、人間の生活ぶりがわかることでしょう。
ですから、ご先祖や神仏の視線があってこそ初めて人間世界の全体像が理解できると言っているのではないでしょうか。

そして今、東日本大震災での死者・行方不明者は2万人、また40万人が避難生活をしているといわれています。

私も、孤独と絶望こそ、人生の最後に味わうべき境地なのだと思います。
この二つの究極の感情を体験しないと、人間として完成しないのではないかと思うのです。

孤独と絶望は勇気ある人に対して「最後にもう一段階上って、立派な人間になって来いよ」と言われているに等しい、ご先祖、神仏からの メッセージなのだと思います。

私達の現世では、自分ひとりだけが泣いて、ひとりだけが苦しんでいるように思いますが、そうではありません。
私達の周りの人も、ご先祖も泣いているかもしれません。そう思って、頑張って手を合わせて生きていきましょう。


合掌


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