4月 月例祭 放生・水陸祭
2011.4.17(日)
この日も管理人が体調不良のため不参加でありましたので住職の法話原稿を頂きました。
住職の思いの一部でも、お伝えできたらと思います。
*****放生・水陸祭 法話*****
今日の放生法会にご参加の皆様、心から感謝いたします。
参尊寺はお陰様で開山から9年目になりました。
この場をお借りして御礼を申し上げます。
その間こちらの先生方は勿論、信徒各々の御献金と御協力のもとで、お寺も大きくなり、9年前には、
30世帯でしたが、今は250世帯の信徒様と係わることになりました。
信徒様方から湯呑み、小皿、座布団、テレビ、冷蔵庫などなど、お寺にあるほとんど全てのものを寄進して
頂きました。
今ではないものがないほど、物持ちのお寺になりました。本当にありがとうございます。
これからも大事に大事に使わせていただきます。
また、今の場所に移転してから5年目になります。
この地で新しくできた護摩堂は、家族葬や法事に活用されておりまして、皆様のお役に立つお寺になりつつ
あります。
その間には、未熟な点、気に入らない事、無礼なこと、頑固なことなど、いろいろ皆様にはご迷惑をおかけしたり、
望ましくないうわさもあったかも知れません。
心機一転、初志一貫、の気持ちで皆様のお役に立つように精進し、頑張りたいと思います。
変らぬご支援、御助言やお叱りを頂きたいと思います。今後とも宜しくお願いします。
今日は放生法要で有ります。この放生には幾つかの意味があります。
われわれが住んでいる地球環境、生態問題を取り挙げてみると、今から100年前、1900年代の人口が16億人から
2000年代の現代においては64億人に増加しました。
人間が増えることによって、それ以降、鳥類が4分の1、森林が3分の1を失い、魚類の3分の2を失なって
しまいました。
人間一人一人が消費するエネルギーも増えて地球の温暖化は急速に進み、地球上の生態系の破滅によって、
数百万年かけて生き延びた生物の種が次々に絶滅しています。
この現象はこれからの人類の絶滅につながる訳であります。
国際世界においては貧富の格差が広がっています。
40億の人が1日2ドル(2000円)以下の生活を余儀なくされ、そのうち8億人が栄養不足であり、毎日3万5千人の
子ども達が食べるものが無く餓死しております。
皮肉なことに、この数字は今現在、物が満ち溢れる日本でのこころの苦しみから死んでいく1年間の自殺者数と
同じ数であります。
この放生法要によって1千万分の1でも、苦しんでいる人間と、破滅される生態系の再生に寄与する事が出来たら
いいなと思います。
二つ目は、仏教の教えにおける放生の意味についてお話しします。
放生は「四無量心」の実践であります。
仏教の根本の教えである「慈」「悲」「喜」「捨」の中身であります。
私たちが一生の間、獲って食べる生物や魚の数は何匹でしょうか?
一生の中で自然界から受け持った恩恵は幾らでしょうか?
慈悲とはいったい何でしょうか?
楽をあたえることを「慈」といい、苦を抜くことを「悲」といい、これを抜苦与楽(ばっくよらく)と言います。
死に至るはずの鯛を放し命を救う、という行為は、自分の欲をはなして、無為の功徳、即ち、誰かに褒められる
ことでも無く、認められるでもなくとも、ただ今出来ることをする。
願わず、求めず、頼らず、これこそが尊い功徳になるのです。
この放生で功徳を積むことによって、自分を救うばかりでなく他も救い、皆様のご先祖様やご家族にも福を招いて
一切に及ぶ、仏の慈悲は広大無辺になるでしょう。
放生法会を行なうということは、人間として自然に対するお詫びであり、恩返しにもなります。
また、仏教信者としての無量功徳は100万遍のお経より、多大な回向供養よりも深い意味を持つことになります。
このように仏教の教えと自然との共生共存の、素晴らしい思想とも言えます。
静寂な心で今日の放生法要を行い、現在の自分の尊い命を精一杯生きてこそ、過去も未来もすべて救われる
事に違いないでしょう。
合掌
*****法話 終わり*****