7月 月例祭

2011.7.17(日)


 久しぶりに月例際に参加することができました。
 この日の参加の先生方は、高住職、林副住職、鶴田先生、川本先生でした。
 暑い日が続いている中、久しぶりにお会いした信者の皆様がお元気そうでほっとしました。
 また、京都から初めてお参りにいらしてくださった方も居られてうれしかったです。





 久しぶりの護摩供養は、いつもより火が大きく上がり、その分迫力満点でした。
 火のそばで護摩を焚く先生方はとても熱かった事でしょう。





********** 法話 **********


 今日は暑い日ですしね、また護摩の勢いがいつもより強くてよかったなぁと思います。

 さてこの法話というのは難しいというか、やさしいというか、いつもやっていますが本当は私は、
いつも法話する度に悩んでいることがあります。
 それは何かといいますと、今日参拝している人らは大体毎月一生懸命参拝している方でありまして、
年配の方は皆さん観世音菩薩、観音さんのような形になっておられる。
そのかたに法話をするということでどんな話をしたら良いか悩みます。

 みんなもう知っている事を話すと思いますが、知っていることをまた確認するつもりで聞いてください。

 私は調べることが大好きで、いろいろ勉強しているうちに、調べることが身についてしまいました。
 それで最近、日本には宗教信仰者がどれくらい多くいるんだろうと思って調べてみました。
 そうして調べているうちに、大きな問題を発見しました。

 調べる前には、だいたいの日本人は、神、仏様の信者だろうなと思っていました。
 でも、調べてみると実はそうではありませんでした。

 はっきりしたデータで言いますと、
 2003年10月に国学院大学で調査した結果によれば
「あなたは何か信仰とか信心とかを持っていますか?」という質問に、
「持っています」という答えは29.1%、
「持っていません」というのは70.9%。
 信心している人は全体の3割にも満たないのです。

 2008年5月読売新聞が「あなたは何か宗教を信じていますか?」と調査しました。
「信じています」は26,1%でした。

 2004年イギリスのBBCが世界11カ国の調査をしてみましたら、
全世界の平均90%が「信じています」という答えでした。
パーセンテージの低い国として、イギリスと韓国の70%が「何か信じています」でした。
この調査には日本は対象にもなりませんでした。

 2008年度ドイツのNPOが世界の21カ国を調査してみました。
そこでは世界平均のの85%が「何かを信仰したり信仰を持っています。」と答えました。

 日本では、信仰を持つ人が30%にも満たないのです。


 私はひとつの大きな問題を発見しました。それはこれから社会問題として取り上げられると思います。

 今、4大疾患というのがあります。
 4大疾患というのは患者数が多い、難病である、これから国が責任を持って対策を立てなければいけない、 という病気を言います。

 一つめは脳卒中、次は心筋梗塞、糖尿病、癌患者、これが今までの厚生省、国が言っている4大疾病です。
 厚生労働省の「社会保障審議会医療部会」の発表で平成23年7月6日からその中にもう一種類入りました。
知っているは人いますか?

 それは精神疾患です。大変なことになっていますよ。精神疾患が入って5大疾患になりました。

 それで、精神疾患患者が323万人。2番目に患者数が多いのが糖尿病で237万人、3番目が癌患者152万人、 脳卒中が134万人、心筋梗塞が81万人。
 順番に並べますと断然、精神疾患患者が多く、癌患者の2倍に上ります。こんなデータが出てきました。

 国立精神・神経医療研究センター認知行動療法センターセンター長は
「日本人の4〜5人に一人は一生のうち何らかの精神疾患にかかるといわれている。」と言っています。
 根拠もありました。
 それが資料を見るとずっと以前からではなくて、この10年間で急激に増えていました。
 この10年間で100万人以上が急激に増えています。ほかの病気はそれほど増えていません。

 何故このようになっているのか、私は宗教者という立場からいろいろ考え、調べ、分析してみました。

 今春の、東日本大震災で死んだ人が何人いるかと言うと、15、500人位です。
 また、5、344人が行方不明になっています。あわせて2万の人が亡くなりました。
 これは大変なことですよ。一時期に震災で2万人もの人が亡くなってテレビも新聞も大騒ぎです。
 でも、2万人の人が亡くなってかわいそうと言ってはいられませんよ。
 原発もこれからいろいろ問題が出てくるでしょう。

 でも実は日本では毎年自殺者が3万人を超えています。
 大震災で2万人亡くなったけど、自殺で3万人が亡くなっているんです。
 その亡くなっている3万人の90%が精神的な疾患で自殺しています。
 それはなぜかと言うと、普段の自分の悩み、苦しみ、お金の問題などいろいろあるでしょう。
 悩み苦しみ、つらさを自分で乗り越える能力がなくそのまま自分であきらめて死んでいっている。
ということになります。






 こんなふうに精神疾患が増えたのには、原因が二つあります。

 ひとつは明治の頃の政策にあります。
 日本はもともとはは神仏の国でした。
 それが明治になって、「廃仏毀釈」と言って、仏さんをなくして代わりに神さん、神社だけを拝みなさいということになりました。
 日本には前からのお寺がありました。これをなくしなさいと国が命じたわけです。
 明治天皇は仏教をやめて新しく国家神道の神社を作りたかったのです。
 国家神道というのは神さんよりも天皇が、仏さんよりも神さんが上という考えで、日本を国家神道の国にしたかったのです。

 それがうまくいけばよかったかも知れませんが、結局は敗戦などで失敗に終わるんです。

 そんな歴史の中で私たちの本山も、一時、神社になったり、比叡山の天台宗にしばらく入ったりして、
それから独立したひとつの宗派として今あるのです。

 それで今、世の中がどうなっているかと言うと、結婚式は神道式やキリスト教式ですね。教会のチャペルで結婚式を挙げています。
 子供が生まれたらどうですか?神社にお参りをし、七五三のお参りをしますね。
 最後に死んだらどうですか?仏教式のお葬式ですね。
 ごちゃごちゃですね。
 こんなにややこしくなってしまったということが大きな問題だと思っています。

 お寺の腐敗も大きな問題であります。
 大きなお寺は韓国もそうですし、日本もそうなんですが、歴史があって立派なお寺、東大寺や高野山の何とか等、 本来は信者を教育したり布教したり仏の教えを伝える場所が、近所の人を集めてコミュニティの場所として提供していない。
 金儲けのための観光収入に頼って、お寺の役割を果たそうとしていない。

 日本の坊さんは今何をしていますか?
 自分の親が坊さんやったから住職をしている。また孫に住職をさせて、普段はお寺の戸を閉めていて、お葬式がある ときだけ戸を開ける。
 拝金主義、自由主義、そんな時代 になってしまって、布教活動をしていない。

 こんなことが原因で人々は手を合わすことができない。
 手を合わす機会がだんだん減ってしまっています。
 そうやって今の状態になってしまったのではないでしょうか。

 だから、これからはどうしたらいいのかということですね。

 結論を言うと、何か宗教を、何を信仰してもいいから、それがだめなら自分のおじいさんおばあさんご先祖様の 教えだけ守るとか、何かしてくれたら少しずつ日本が変わってくるのだと思います。


 今のような精神疾患が増えた世の中に成ってしまったもうひとつの原因は戦争後に日本が辿って来た道にあります。

 田舎には「家」、「村」と言う立派な制度がありました。
 村で恥をかかないための道徳があったり、長男は家を守るために家や家業を継いだりしてたんです。

 それが高度経済成長に伴い、みなが金儲けに走ったため、集団就職で都会に人が流れて、工業団地などで働くようになった。 親をほっといて、自分たちだけで生活する形が定着してしまった。
 こうして家族が崩壊してしまった。

   家族が崩壊してしまったら、今の30代40代は自分でお金出して食べることを知っているから、親との コミニュケーションの必要性が薄れてきてしまった。

 あるいは親が手を掛けず、子供は自分で勝手に大きくなった。だから教育ができてなかった、等という、それぞれの原因があります。

 その結果日本人は、と言っても全部じゃないですよ、でも日本人全体で見るときには、苦しみや悩みやつらい時には どこにも素直に頼るところもなく、相談するところもない。

 自分ひとりでくよくよくよくよして、また信仰する宗教もなく仏様に救いを求めることもできないし、しない。
 そのため心も体も疲れてしまい、どうにも動きが取れなくなってしまう。
 そんな日々が長く続くと精神疾患に進行してしまい、そのために自分の人生を見失ってしまっている。

 それで今、自分が神仏やご先祖、または家族、友人、知人、周りのいろんな人と縁があって生かされているということが わからないわけです。

 そうして感謝の気持ちが一切持てなくなってしまう。
 そうすると結局はすべてが恨みになるのです。

「親がまともにしてくれたらこんなにならへんのに」
「この社会がこんなじゃなかったらこんなにならへんのに」
「あの神さんが私を助けてくれると思ったら逆に私を殺してる」
とか、かえって恨みに代わっていくんです。

 恨みつらみだらけになったら自分が負けるのは当たり前でしょう。
 それで死んでいくのだと、私は、哀れな人生を送って行ってる人がたくさん居られるということを感じております。

 それで私達仏教信者は、息を吸う空気にも感謝し、ありがたいなぁと思う。
 水一滴にも感謝しています。米一粒にも感謝しているのです。
 すべての森羅万象に感謝しているんですよね。これが仏教信者です。

 ですから私たちは生きてる人間はもちろんですし、死んだ人にも手を合わせているんです。
 亡くなった人達にも感謝しているということです。
 その素晴らしいことをやっているから今私達は救済されているのです。

 人間の年齢には3つの種類ががあります。
 「肉体年齢」があって、「社会的年齢」があって、「心理的な年齢」があります。
 人間は一人ひとりみんな違います。
 85才だからといって誰も彼もが動けない、ということはないのです。
 人より肉体年齢を多くとった人は足がちょっと不自由だし、頭はピンピンしている人は心理的年齢が若い。
 いろんな苦労をしたから、そのために身についた判断能力とか、周りを目配りできる人は、社会的年齢が伸びている と言えるのです。
 人それぞれ、皆さん違うんです。
 ある人は心理的な年齢は若くても体の肉体年齢は年をとってる、というバランスがあるのです。

 仏教信者はこの3つの年齢の中で、長くできるものはあるでしょうか。
 それは、心理的な年齢は一番長生きできるんだ、ということなのです。

 私たちは死ぬときにも感謝しながら死ぬことができます。
 だから、仏教信者が手を合わせるということは、心理的な年齢だけは一番長いということです。
 心理的年齢が長いとは、結局は精神疾患にかかりにくいということになります。

 そういうことですので、皆さんは今からでも、周りの一人一人に手を合わすように導いていって欲しいのです。
 周りの心理的に苦しむ人を一人でも減らすためには、皆さんの役割が必要なのであります。
 そして、それこそがこの国の精神疾患を減らすことに役に立つことであります。

 そうして今やってるみたいに、一人でも多く集まって、
家内安全・息災延命・子孫繁栄・福寿円満・当病平癒・身体健全・学業成就・交通安全・商売繁盛・良縁成就・職業安定・ 開運成就・怨敵降伏・金運成就・ボケ封じ・如意満足などなど・・・
みんなで一緒にお祈りいたしましょう。

********** 法話 終わり **********



 最近までずっと月例祭の度においしいお料理をお供えくださったP様が韓国に帰られました。
 P様がいないのは寂しいですね。でも、お孫さんと暮らすために帰国されたP様に感謝です。
 ずっとおいしいものを提供してくださいました。今までありがとうございました。





 代わりに、と言うわけではないのですが、別の方が韓国からおいしいお餅を持参してくださり、キムチとスイカで 護摩の後のひと時をみんな一緒に過ごすことができました。


合掌


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